2017年02月28日

迷路の中のカレーパン

今朝はやけに胃が重かった。これはストレスのせいだろうか。

デスクトップに、深夜3時頃に作成したテキストファイルがある。ブログを更新しようとして、テキストを打っただけで満足してしまうことはよくあるので、これもそのパターンだ。

昨夜の僕は、こんな文章を書いていた。
「なにもしない」ということが、必ずしもパワーの消費を抑えるわけではない。ベクトルとベクトルが押し合う形で拮抗し、無駄に消耗しながら、なにもしない状態にとどまることがある。

「自分を厳しく律せよ」という情報には「なるほど」と思うし、「無理をやめて楽にせよ」という情報にも「なるほど」と思う。そしてやっぱり、こういった説得力の大半は、単なる言葉のさじ加減だったりもする。

だから、その手の話は全部無視して「自分自身でよく考えたほうがいいな」となると、今度は「本人ならではのバイアス」がかかってしまい、客観的な事実から無意識に目をそらしてしまう。

すると、次はもう「瞑想でもして無意識を見つめやがれ」という話になりそうだが「むやみな瞑想は危険」という話もあるし、瞑想の指導者と呼ばれる人は、だいたい極端でうさん臭い。

結局、じっとしていても、動いても、何らかのリスクを伴うということだ。ならば、僕は動こうと思う。こんな時間だけど、思い切ってジャンボカレーパンを食べようと思う。
寝る前に、こんなシリアスな考え事をしていたら、そりゃ胃も重くなるわけだ。
posted by オオタ at 20:00 | 雑文 | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

メロンソーダー

メロンソーダーばかり眺めてないで、ちょっとは話を聞いてよ。教祖様のチャーハンは本当に美味しいんだよ。
posted by オオタ at 19:45 | 雑文 | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

コミュニケーション能力

彼のコミュニケーション能力は凄まじい。情報をやりとりするためなら手段を選ばない。会話、電話、メール、手紙、SNS、外国語はもちろん、無線、手話、モールス信号、伝書鳩、テレパシーをも使いこなす。いまどき5インチのフロッピーディスクを渡しても全く怯まないのは、彼ぐらいのものだろう。
posted by オオタ at 18:46 | 雑文 | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

歩道橋

歩道橋が減っている。まあ、当然だろう。「歩道橋を渡るぐらいなら少し遠回りをしてでも信号を渡る」という人はよくいるし、バリアフリーの観点からも不要だし、老朽化したものを、わざわざ補修したり造り直したりする理由はあまりない。

個人的には歩道橋が好きだ。でもそれは、歩道橋でしか得られない、ちょっと違った視点の景色を見られるからであって、「必要としている」とは言えない。歩道橋の上でポツンと一人になる感じも好きだけど、それだけ利用者が少ないということでもある。

今度歩道橋を見かけたら、写真を撮ったり、無駄に渡ってまた戻ったりしておこう。そう思ったんだけど、すでに僕の行動範囲から歩道橋は消えていた。「ついで」にこだわらなければ、あるところにはあるんだろうけど、歩道橋を目指して足を伸ばすほど思い入れがあるわけではない。

この地味な円形歩道橋(札幌市白石区菊水3条5丁目付近)は、どうやらまだ健在らしい。
posted by オオタ at 23:01 | 雑文 | 更新情報をチェックする

2017年02月14日

ルーツ

たまに「ルーツは?」と聞かれたりするのは、道民同士ならではの会話かも知れない。あるいは、東京で「出身は?」と聞くのに似ているかも知れない。

道民は、代をさかのぼると遠くても5代以内ぐらいで、道外に住んでいた歴史がでてくる。僕らの世代では、そもそも親からして道外の生まれという人も多い。特に札幌は、札幌オリンピック前後に人口が急増した場所なので、当たり前と言えば当たり前だ。160年前の札幌の人口は「3人」という記録があるぐらいだ。

僕のルーツは3代か4代ぐらい前が秋田なので、もちろん「秋田」と答えるんだけど、秋田には降り立ったことがなく、何も知らないので話が広がらない。いぶりがっこはウイスキーに合うけど、僕は秋田美人でもナマハゲでもないし、きりたんぽは名前がかわいい。

今度「ルーツは?」と聞かれたら「アフリカ」とでも答えようかなと思ったが、あっさりスルーされるだろう。
posted by オオタ at 21:30 | 雑文 | 更新情報をチェックする

裏通り

裏通り2.jpg

初めて「カラオケ館」の看板を見たときは「まるで撮影セットの架空の看板みたいにやる気がないな」と思ったんだけど、まさか全国チェーンだったとは。
posted by オオタ at 02:30 | 写真 | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

形の変化と言葉の変化

新しく発表された曲を「新譜」と呼ぶのは、録音というものがなく、楽譜のやりとりしかなかった頃の名残だろうか?

最近、ちょっとした変化に合わせて、いちいち言い方や言葉を変えなくてもいいんじゃないか? と思うことが多い。どうせその新しい言葉もせいぜい数年間しかピッタリはまらないんだろ? とか。

英語圏のレコーディング風景で「録音してるよ」を「Tape is rolling」と言っているのをよく耳にする。もちろん、いまどきテープは使っていないが、それでいいのだ。

最近モヤモヤするのが、音楽配信されるファイルを「音源」と呼ぶことの、しっくりしない“とりあえず感”だ。僕も「音源」と呼ぶことが多いが、この言葉の適用範囲は広すぎる。

始めの頃はよく「MP3」「MP3配信」などと呼ばれたが、案の定「.mp3」意外のフォーマットも増えてきたし、いちいちそれを確認して「AAC買ったよ」とか「AIFF配信してるよ」なんて言う人はたぶんいない。

もしかして我々は、CDの段階で間違えたのではないかと思わないでもない。レコードとCDは、記録媒体としては別物なので、媒体を区別することに意味がある場合は、それぞれ「レコード」「CD」と呼び分け、なんとなく徐々にくっきり分かれてきた感がある。

あのときから、CDも「記録」という意味でレコードの一種だとしておけば、半永久的に「レコード」という言葉でいけたのだ。例えば「CD屋さん」なんて言葉はいらなかったのかも知れない。「タワーレコード」は「タワーレコード」であって「タワーCD」ではない。でも、もう後の祭りだ。音楽配信されているファイルを今さら「レコード」なんて呼べるはずもない。
posted by オオタ at 18:33 | 雑文 | 更新情報をチェックする